シナリオ小話 第33回 シャレード(1)

第33回は「シャレード」について考えてみましょう^^ といっても、今回は「シャレード」とは何かということを紹介するに留め、具体的な手法や実例は次回以降にゆずりたいと思います。

さて、技法書などでも「シャレードが重要だよ」とは書かれているものの、この言葉の意味は存外に広く、なかなか一言と説明できるものではありません。辞書によると「シャレード(charade)」はフランス語で、見せかけ、ジェスチャー遊び、身振りで示されること、といった意味であるようです。
特にシナリオでは「セリフ以外の事柄で何かを表現すること」と広義に考えるべきです。

歴史的な観点から、「シャレード」とは何なのかといった理解を助ける進歩・変化をおさらいしてみましょう。

その昔、演劇の時代、脚本には今よりずっとセリフが多かったのですが、この最大の原因は『言葉で表現しないと伝わらない』からでした。比して、今日のようにフィルムを編集して制作する映像脚本となってからは、画面に映す豊富で精細な映像を用いて実に多くのことがセリフで表現しなくてもよいようになりました。
たとえば演劇では、セット(舞台装置)に限界があるため、まずは場所の雰囲気についてセリフで説明しなければなりませんでした。「なんと暗く不気味な森であろうか」とか「おお、見事な眺めの素晴らしきテラス。国の端々まで見渡せそうだ」といったセリフがそれです。今日ではカメラがそれを映し、視聴者に示してくれます。
その他、時間についても「もうこんなに更けてしまったではないか。冬の夜はなんと早いことその帳を下ろすのか」といった具合、人物の様子についても「仕立てのよい服を着てはいるが、ところどころが破れほつれているではないか」といった具合です。劇場すらなかった古代の演劇では、それこそ大部分をセリフで表現しました。

また、カラーテレビとカラーフィルムの普及以降、白黒では説明が必要だったこともその後は説明しなくて済むようになりましたし、脚本家や監督は色に関する特別な配慮も不要となりました。
有名な話、故・黒澤明監督は白黒フィルムに映して出来上がった椿の色がイメージに合わないと、椿を墨で真っ黒に塗って撮影をやり直したそうです。血を思わせる真っ赤な椿を映したかったが、それを実際にフィルムに収めると薄灰色にしかならなかったからだそうで、これじゃあドギツいまでの血をイメージはさせられん、というわけです。
同様の理由で、白黒時代のチャンバラ映画やヤクザ映画では、飛び散る血の色の濃さを表現するため、実際の撮影では墨を使っていました。真っ黒の墨を口から噴き出しながら撮っていたとは驚きです。
これは脚本家にも関係ある話で、有名な「幸福の黄色いハンカチ」はカラー映画だからこそ出来たお話であり、白黒映画なら迷わず「白いハンカチ」であったでしょう。オランダへ旅行しに行くシーンがあれば、有名なチューリップ畑を目の前に、「色とりどりだわ」「実に多くの種類があるんだねえ」と会話しないことには視聴者に伝わりません。

さらに、フィルムと映写機の進歩もシャレードには大きな影響を与えました。
昔の8ミリフィルムを現在のテレビサイズで見ると、画がとんでもないほどボヤけて見えます。看板の文字も正確に読み取れません。これはフィルムが言葉通りに8ミリ幅しかなかったからです。テレビ用は16ミリ、映画は35ミリですが、これも現在は共にデジタル化しており、実質の解像度は飛躍的に向上しています。
つまりどういうことか? ―――フィルムの解像度が低く映写そのものの技術も未発達だった時代には、手紙を画面に大写しにするような手法は存在しえなかったのです。存在したとしても、おおよそそれが手紙であろうと分かった程度で、実際の作劇上は俳優が声に出してそれを読んでいました。
今日は、「博士が愛した数式」に度々登場するように、登場人物が黒板に文字で書いたことを直接視聴者に届けることができます。また、ノートの端っこに小さく小さく書かれた「だいすき」の文字にズームアップすることもできるようになりました。
花束に仕込まれた小さな盗聴機を画面に映して視聴者に突き付けることも可能ですし、推理ミステリーでは探偵が小さな毒針をつまみあげて「これが今回の凶器ですよ」と言っても差し支えないことになりました。昔なら「この針が~」「なんと、針ですか!」「確かに針ですな!」とやったわけですが、今日は「これが~」「おお、これが!」「なんと、こんなものが凶器だとは・・・」で視聴者に通じる時代になったのです。
もっと言えば、俳優の細かな表情が読み取り易くなり、昔のようにまるで歌舞伎のような派手なメイクをする必要がなくなったことから、以前なら「そんなこと言うな、わかってるさあ」というセリフは、「そんな顔するな、わかってるさあ」というセリフで可能だということにもなりました。

この他にも、撮影技術の進歩やCGの導入により、多くのことがセリフで表現しないでも済むようになりました。
例をいくつか挙げると、有名な「義経の八艘飛び」を映像にするとします。これは壇ノ浦の戦いで、劣勢になった敵が義経を道連れにしようと飛びかかって来るのを、幼名・牛若丸としても有名な義経がヒラリと飛び上がってかわし、8艘も向こうの船まで飛び移ったという話です。
昔であれば、船から飛び上がるシーンと別の船へ着地するシーンを別々に撮影しておいてそれをつなげ、脚本家は「何と8艘もの距離を!」と言わせます。これに対し、現在ならば、たとえば本当に8艘向こうへ飛んでいくワイヤーアクションを撮ることも、CGで合成して本当に8艘向こうに着地させることも可能です。そうなるとセリフで「8艘分の距離を飛んだ」と説明させる必要はなくなります。
また、昔は火事のシーンなどは本当にセットに火を放ったりしていました。今も実際の炎や爆発を用いることもありますが、CGの登場によって低予算で非現実的な火事をいくらでも描けるようになったので、「火事だよ、助けてー!」「火事だ、火事だ」「きゃーーー、火事よー!」と口々に叫んで町人が逃げ惑うという脚本を書かなくてもよくなりました。必要ならニューヨーク全てをだって火事にできるのですから、「なんてことだ、火事はNY全域に広がっている!」というセリフは要らなくなりました。代わりにNY全域の火事の映像を流しておいて「まるでこの世の終わりだ・・・」と言わせることが可能になりました。

他にも色々と作劇に影響を与える歴史的な進歩はたくさんあるでしょう。音の進歩もそうですし、音楽のミックス編集技術の進歩などもそうです。が、ここではこれくらいにしておきましょう。

―――つまり、以上のいくつもの箇所で「Aとセリフで言わずに済むようになった」「代わりにBという表現で視聴者に伝わるようになった」という紹介のしかたをしてきましたが、これが全て「シャレード」であり、今日の脚本家であるボクたちは特にシャレードについて学ばなければならないということがお分かりいただけたのではないでしょうか。
長くなりますので、続きは次回に♪
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by genmuki | 2008-05-07 19:13 | シナリオ小話
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