カテゴリ:創作ノート 「斬羅鬼 -ZARAKI-」( 2 )

「斬羅鬼」の時代

『斬羅鬼 -ZARAKI-』の舞台となっているのは平安時代です。一般に「平安時代」と言えば、794年(鳴くよウグイス)から1192年(イイ国つくろう)鎌倉幕府までの約400年間、都が主に平安京にあった時代を指します。「主に」と言うのは、途中で都は何度か近所に遷都されているからです。

今日は『斬羅鬼 -ZARAKI-』の舞台になった平安時代の基本を考えてみたいと思います。
学術的な正確さを求める文章ではありませんので、決して受験勉強や大学のレポート等の参考にしないように!

おおよそ平安時代とはどんな時代か?を想像する一助になるのが、「初期」「中期」「後期」の3つに分ける方法です。
(そして4つめを「末期」とするのも悪くありません)

700年代の最後半から800年代を、平安の「初期」と考えます。
都が平城京(大和=奈良)から平安京(山城=京都)に移り、徐々に中央集権の仕組みが強化されていく過程にあります。
しかし東北地方を中心にまだ中央の支配が盤石でない地域も少なくなく、有名な「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」ら征夷大将軍が積極的に蝦夷(えみし。東北地方)討伐を繰り返していた時期なのです。

900年代~1000年代くらいをざっくりと「中期」と考えましょう。
この頃には平安京の整備はかなり進み、大きく立派な寝殿造りの邸宅や庭園がたくさん完成します。平安京がとても華やかな時期です。
仏教こそ盛んながら、仏教とは一線を画した各貴族や豪族が独自の荘園文化を花開かせていきます。
また、この頃には多くの裕福な貴族が、邸宅の警護や私兵として全国から武人を集めます。有名な「平将門(たいらのまさかど)」もこの時代の武人です。彼は難波(大阪)出身の武人であり、若くして京都に出てきて、優れた政治家であった左大臣藤原忠平(さだいじん・ふじわらのただひら)の食客となっていました。そして935年には「将門の乱」を起こし、940年に死去します。
平安の「中期」はこんな感じで、中央集権が進むと同時に各地に力を付けた豪族も割拠し、また、のちに「武士」と呼ばれることになる武人や武官が発展した時期でもあります。

1000年以降、特に世に「末法思想」が流行し平安時代が衰えていく印象が強まるのが「後期」です。
各地で豪族同士の微妙な領土問題から小競合がしばしば発生し、都においても相続問題や継承問題が何度も起こります。天変地異も多く記録され、平安京は飢饉などのせいでかなり荒廃します。
武士の台頭も華々しく、各地で独自の勢力を旗揚げしては地域を実質支配するようになります。けれど中央政府である平安京は財力もヘトヘト、討伐の軍隊を満足を送ることもできないので、ますます地方は乱れる・・・こういう悪循環に陥ります。
平安京の貴族たちの中では「世の中は暗い。生きていくのは辛いねえ」という気持ちが強まって、デカダンス(笑)な文化が流行します。

そして1100年代、実質上、わたしたちが想像する「平安京」と「平安時代」は見る影もなくなり、日本はほぼ全域が内戦状態に突入していきます。
とどめは1180年からの平家と源氏の激しい合戦(源平合戦)で、ついに源氏が征夷大将軍となって鎌倉に幕府を開くことになるのです。

しかし、この長い平安時代とその前後を理解する上でもっとも重要なことは、

それでもずっと、平安京(京都)はあるし、国の都である

―――ということです。源氏が本拠地である鎌倉を開発して幕府を宣言しようが、ほとんどの役所は平安京にあります。法律がまったく変わってしまったわけでもないし、平安の文化が消えてなくなったわけでもありません。まだまだずっと後まで、平安京は都であり続け、そこに平安文化は息づき続けるのです。


かなり以前の雑記帖になりますが、2006年公開の『斬羅鬼 -ZARAKI- 平安京異録』(と2009年公開『新訂版』)は、実は本編が別にあった上での“パイロット的なオムニバス作品”だったことを書きました。・・・もちろん『斬羅鬼 -ZARAKI-』本編とも言うべき物語はまだまだ世に出せそうにありません。(爆)

この本編(「真伝」とでも呼べばよいのでしょうか)の舞台は、西暦930年、平安時代の「中期の入り口」くらいの時代を想定しており、5年後に「将門の乱」を控え、まさに動乱の時代に足を踏み込もうかという頃の平安京です。

930年頃、真伝を通じて、主人公である芒草雪之丞(ささめゆきのじょう)が裏検非(うらけび)となるまでの彼の半生を描く予定です。

これに対してオムニバス『平安京異録』は、実は、本編のもっと後の時代です。
最終話(第4話)「千年巫(せんねんかんなぎ)」の最終盤、ナレーションに「紫式部(むらさきしきぶ)」「清少納言(せいしょうなごん)」の名前が一言だけ出てきます。また「都はますます盛んに、文化も花開くのです」と締めくくっています。つまり西暦1000年前後の話を集めたものだということが分かります。
検非異使(けびいし)たちは不老不死なのか、『真伝』から60~70年が経った『異録』でも大活躍でしたねえ。(笑)


最後にこっそりと。
『斬羅鬼 -ZARAKI-』シリーズには『真伝』のほかに『外伝』もすでに構想しており、こちらは平城京(奈良)の時代です。
舞台となる時代を西暦で言えば800年より少し前、770年前後です。
「この頃に活躍した有名人って誰だっけ?」―――そんなことを想像しながら、何年後になるか分からない『外伝』にもご期待ください♪

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by genmuki | 2012-07-02 18:40 | 創作ノート 「斬羅鬼 -ZARAKI-」

「斬羅鬼」創作ノート 投稿をはじめるにあたって

初回は、『斬羅鬼 -ZARAKI-』にどうしてわざわざ「対訳」と「解説」まで付けて『新訂版』なんて出そうと思ったのか、そこに関係する話を書きたいと思います。
その後、不定期投稿で、今もほそぼそと書いている、『新編』というか『もともとの本章』というべき『斬羅鬼 -ZARAKI-』続編を制作していく上での勉強内容や言葉の話などのノートを、少しずつ公開してゆこうと思っています。―――あまりにゆっくり制作を進める自分への、ちょっとした緊張になれば良いなと思いまして(^^;


オリジナル版『斬羅鬼 -ZARAKI-』のシナリオは2005年に構想し始め、本格的に書き出したのは競作として同年の後半になってからでした。しかし競作者が病気でダウンしてしまうなどして事後を託されるような形となってしまい、同じ年の12月頃にはおおやぎが引き受けて全文を思い切って書き直すような恰好となりました。最大の理由が、文面が違いすぎるので競作状態のままでは整合性がとれないことでした。明けて2006年1月にかけてシナリオは完成し、ソフトは2006年の4月に公開することができました。
この時、実はすごく迷ったのです。競作者の書く文章が好きだったので、できれば書き上げて欲しかった。けれどご病気があって少し悪化させられ、「ゴメン、家族に療養しろとうるさく言われている」とされては、「ダメ、書いて!」…とは言えませんでした。
構想からすれば長いわけですが、実際に競作したのは数カ月でした。その間、最大としても違いない話題は、内容のことよりも「言葉遣い」のことだったのです。内容については両者ともに十分に意気投合していたのでそれほど意見を交わす機会はなかったのですが、それを実際のテキストにしていく時、

「どこまで古語にこだわり、平安時代末期、その当世風の会話にするか」

これについては、よく話し合いました。で結果を大雑把に言えば、50vs50で、意見は合致半分・相反半分でした。
おおやぎは、そもそも古典も漢語も古語も好きで個人的にも勉強したり研究したりのことでしたから(そのうえ、辞典マニア)、古語などにかなりこだわりました。もう一方は常はアクション劇画の原作などをしている人間だったので、「言い回し」や大人っぽい「言葉運び」はとても大事にされましたが、古語の表現を前面に出すのには基本的に反対の立場でした。もう何度何度、「どうして難解にするんじゃ」と言われたことでしょうか。

「難解にすることが目的じゃないですよ、言葉は空気感です」
「それらしい難しいことを並べればてゆう学者気取りと一緒じゃ」
「脚本じゃ、別にいちからじゅうまで事情をくみ取ってもらう必要はないでしょう」
「だからって空気感で煙に巻いてはなあ…」

ずっとこんな調子で平行線でした。そんな二人が競作なんてどうにかしていると言われそうですが、作劇についての意見の相違などはそれほどになく、本当に「言葉遣い」をどうしようか、両人とも本気で悩んだものでした。

平安時代の古典風に書くと、たとえば、こうなります。

「花が散れば、覚めません、何をするのか、思います」(現代語で書きますが)

どうでしょうか、「花が」を除いて、あとは主語が何なのかまるでわかりません。この例はやや和歌を意識したものですが、当時はおそらく、主語が何であって何を言おうとしている言葉なのか―――「その空気が読めないなんて無教養だわ」ということだったようです。

上記の例でいけば、「花が散れば」は季節感なり時勢です、実際に何の花が散った頃なのかは“お互いに知ってるだろ”ってなものです。「覚めません」は「私の」「夢は」くらいの意味。「何をする」のは相手のことなりここの会話で対象となっている第三者のことでですね。そうして「思います」の主語は「私」です。
さらには、「花が散れば」の本意を、「季節が変わったというのに」と受け取るか、「時間は待ってくれないのに」と受け取るかも、はっきりしません。「覚めません」も、「ずっと恋の魔法にかかったままだ」なのか、「あいかわらず考えがはっきりしない」なのか、それもわからない。

…あまりにも曖昧すぎて、現代の我々には難解すぎる、意味がない!

けれど、まったくもってその情意が理解できないかと言えばそうではない!


競作者は前者の立場をとり、おおやぎは後者の立場をとったわけですね。


もうひとつ、これは後の投稿に1トピックをあてて書きたいと思いますが、特に悩んだのが「一人称」でした。

主人公である裏検非(うらけび)の3人衆は、それぞれ、雪之丞が「私(わたし)」、華艶丸が「俺(おれ)」、影郎が「儂(わし)」と言います。
これは実は競作者の案で、おおやぎは「一人称自体を使わない」案を強調していました。この時代、公文書はともかく、日記に関しても、一人称も二人称もほとんど使わないのが常でした。おそらくですが、会話ではまったく一人称も二人称も使わなかったはずです。そして、どうしても使うとしたら「我」しか使われなかった。「我」の読み方は「わ」が一般的です。発音は「わ」ないしは「あ」です。「あ」には「吾」の字が当てられることもありますが、当時の和語の上では厳密な区別はありません。
とにかく、こういう事実がある以上、「一人称も二人称も使わないことにしましょう!」と主張したのがおおやぎでした。
―――と言ってみたところで、今の形の日本語に慣れた読者にとって(そして我々作者にとっても)、「そんなことが可能なものか!」と思われましたし、実際に書き始めると…無茶でした。ここについての詳細や次作への研究ノートは、また次回にでも…。
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by genmuki | 2012-02-23 02:19 | 創作ノート 「斬羅鬼 -ZARAKI-」