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シナリオ小話 第9回 口調

副題を「口調」としましたが、人物の話し方の特徴・物の表し様といった人格面ではなく、より単純に「口調」にだけ着目しましょう。

 夜のアパート、1階右端の部屋の窓に電燈が灯り、室内に2人の人影。
人物A「準備はいいかしら」
人物B「ええ、整っておりますわ」

もちろん映像では声から男女の別が分かります。ここでそれ以上に分かることは、Aに比べBの立場が低いということです。Aに対してBが丁寧語で話しているために、おおよそこのことが分かります。
(もっとも、対等の立場の友人に対して丁寧語で話す人物かもしれませんが)

人物C「やぁ、佐々木君。この前の件はどうだった?」
人物D「散々ですよ」
人物C「一筋縄ではいかんね。頑張りたまえ」
人物E「おはよう」
人物C「おはようございます、部長」
 と軽く会釈する。

こんなシーンでは、Cさんの口調が途中で変わっています。相手との関係によって言葉の変わる日本語の常識、特に考えるまでもない当たり前のシナリオです。おそらくCさんは課長か係長か、どちらにせよ部長よりも位の低い管理職なのでしょう。DさんはCさんよりさらに低位か平社員です。
要するに、口調で人間関係が分かるという日本語の便利を用いて、シナリオでは常に視聴者に知らせ続けていかねばなりません。
万が一にCさんのモノローグを用いるとしても、「おはようございます、部長」と会釈をしておきながら、「この人は織田部長、私の上司だ」なんてモノる必要はまったくないわけです。
より厳密に言えば、「部長」と言葉に出さなくてもいいかもしれませんね^^

先に、映像では声から男女の別が分かると書きましたが、それなら、男の声で、

清彦「あらまあ。そんな顔しちゃあいやだわ」

なんて言わせたら、オカマですよね。映像ではいかにもパリッと男性のスーツを着ていても、この人物はオカマです。
同じくスーツを着込んだ若い男性サラリーマンが、丸の内のオフィスビル前で、

伸哉「いくぜ、野郎ども。目にもの見せてやるぜ」

こんな風に話すならば(軽口でそう言った場合を除いて)、穏当な新人社員ではなさそうです。彼はギャングか何かではないかと思ってしまうかもしれません。

左文字「拙者、酒はたしなまぬゆえ」
権兵衛「下戸かいなあ」

もちろん映像で刀を脇に置いている左文字は侍でしょうが、同じく映像では見るからに町人姿の権兵衛の、その軽い言葉遣いから、左文字はたいして位の高くない侍だということが分かります。浪人かもしれません。
こういった例は枚挙にいとまもありませんが、ドラマ等の映像を気を付けて見ていると、ごく当たり前のことですが、このような口調による説明が随所に存在します。逆に言えば、口調をコントロールすることによって説明できることがたくさんあります。それをセリフで説明しないこと。
映像を見て分かることをセリフで説明しないことは基本中の基本ですが、セリフの口調だけで分かることは、セリフに盛り込むこともしないこと。簡潔なシナリオ表現には大切なことです。

映像による解説が期待できない電話のワンシーン。

昭吾「だからもう、そっちで何とかしろよ」
 と、乱暴に電話を置く。
女性社員「係長、3番に・・・」
昭吾「しつこいなあ」
 と、素早く受話器を上げて3番を押す。
昭吾「何度言ったって同じなの!」
昭吾「はい、すみません!」※
昭吾「え、会議?」

昭吾「だからもう、そっちで何とかしろよ」
 と、乱暴に電話を置く。
女性社員「係長、3番に・・・」
昭吾「しつこいなあ」
 と、素早く受話器を上げて3番を押す。
昭吾「何度言ったって同じなの!」
昭吾「はい、ごめんね!」※
昭吾「え、会議?」

(※の箇所以外は同じ内容です)
昭吾のセリフは同じ「謝罪」の言葉ですが、口調が違います。もちろん映像で昭吾の表情が映されているなら、その表情によっても説明されるでしょうが、カメラが電話を映していては、情報は口調だけになってしまいます。それでもここで何が起こったのか、おおよそのお人が一瞬で分かるのが、口調の面白いところですネ^^
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by genmuki | 2007-10-24 15:40 | シナリオ小話

シナリオ小話 第8回 助詞

第8回ですが、回数を重ねてくる毎にシナリオ技術論みたいになって来ましたね^^;
そういうのはあまり本意ではなく、できる限り日常の中での気付きとシナリオ技法の関係みたいなことをつれづれに描いていきたいので、今日は「言葉遣い」について、「助詞」に注目してみたいと思います。

日本人ならば誰もが当然のように「助詞」を効果的に使っています。ほとんど無意識です。
助詞というのは、「誰某は」の「は」や、「誰某が」の「が」、あるいは「の」とか「も」とか「を」などの、おおよそ1~2文字の言葉で、単語と単語をつなぐ接着剤のようなものです。
1つの事実を叙述する時、この「助詞」の選択によって、2つ以上の事実をほのめかします。また、誰もがおおよそ状況に応じ選択して助詞を使っています。

息子の源一郎君がお父さんの大切にしていた花瓶を割った場面。

1.父親「源一郎、お前というやつはっ!」
2.父親「源一郎、お前というやつもっ!」
3.父親「源一郎、お前というやつまでっ!」
4.父親「源一郎、お前というやつがっ!」

1だと通常の表現で、セリフの後部には「何という乱暴なことをするやつなんだ」くらいの叱責の言葉が続くわけですが、ただセリフの助詞を1つ変えるだけで、叙述のニュアンスはガラリと変わりますね。
2や3では、父親の怒りの矛先が花瓶を割った源一郎君の他にも向いています。もしかしたら、最近、弟の幸次郎君も同じようにパパの怒りを買うようなことを仕出かしたのかもしれません。
4では、父親は源一郎君を誰かと区別しています。最近この父親の怒りを買った幸次郎君と違い、パパは源一郎君までもがそのような失態を犯すとは思っていなかったので、怒りと驚きもひとしおです。

敬子「これ、猫がやったのよ」
 と、畳の上の割れた花瓶を指差す。
幸江「猫も?」
 と、敬子を指差す。
敬子「猫が」
幸恵「ふうん」
 と、苦笑して花瓶を片付け始める。

これって何を言ってるの?という感じですが、要するに、花瓶を割ったのは猫のせいだと主張する敬子と、猫を追いかけ回すなりしてこの状況を作り出した敬子にも責任があるでしょうとする幸恵のやり取り。
(あるいは要らぬちょっかいを出して猫を怒らせた敬子が、猫に引っ掻かれそうになり慌てて花瓶を倒してしまったのかもしれません)
ともかく、この争点は「が」と「も」にあります。

敬子「これは猫のせいなの」
 と、畳の上の割れた花瓶を指差す。
幸江「その猫を不要に追いかけ回したのはあなたじゃないの」
 と、敬子を指差す。
敬子「違うわ。本当に猫が勝手にやったことで、私は悪くないわ」
幸恵「ふうん」
 と、苦笑して花瓶を片付け始める。

―――まあ、こんな風にしてしまってもイイでしょうが、異様に説明臭くてイヤですね^^;
セリフはできるだけ軽妙なやり取りである方が現実的であるわけですから、争点を「助詞」に絞るセリフ回しは案外いろいろな場所で重宝しますヨ♪

同じように、明確に言及しなくてもニュアンスを付加できる小道具に「副詞」があります。

「次のニュースです。また飲酒運転です」
「次のニュースです。さらに飲酒運転です」
「次のニュースです。今度は飲酒運転です」
「次のニュースです。またしても飲酒運転です」

説明するまでもありませんが、副詞「また」「さらに」「今度は」「またしても」にはそれぞれのニュアンスがあります。

「もう半分か」
「まだ半分か」

の話でもそうですが、副詞や助詞は、セリフを非常に短くし、なおかつそこに、価値観や感情といったニュアンスを附加するにはとても便利な言葉です。
特にセリフに省略省略を繰り返し、できるだけ短く軽快にしていこうと努める時、威力を発揮します。

誠一「おまえねぇ」
誠一「おまえはねぇ」
誠一「おまえがねぇ」
誠一「おまえもねぇ」
誠一「おまえまでねぇ」

ごくごく短いセリフを回す時、誰もが無意識に助詞によって意味合いを出そうとすると思います。
弖爾乎波(てにをは)を正しく使いましょうだなんて、まるで小学校の国語の授業のようですが・・・
日本語を用いるメディアでは小説でも何でもそうでしょうが、効果的に「助詞」を使いましょう、てことでしょうか。
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by genmuki | 2007-10-18 02:36 | シナリオ小話

シナリオ小話 第7回 小物と動作

第7回は「小物と動作」と題しましたが、ようするに「小道具」と「演技」のことです。

新井一先生はじめ、小説家でペンマンクラブ会長であった井上靖先生などもご指摘の通り、日本人はあまりシナリオや文章の中で、小物や動作を使わない傾向にあるようです。
セリフが曖昧で、演技で補って、初めてひとつの動作なり感情なりになるというのは、シナリオのみならず小説の中でも重要な技法だと思います。

佳子「あ、先輩おはようございます・・・(うつむいて)その、ええと、ええと、ですから、あの・・・」
(※カメラは彼女の表情を長回ししていることを想定)

とやるのも悪くはないのですが、

佳子「先輩おはようございます」
 と、うつむき、指先でスカートの裾などいじりながら黙る。
(※カメラは途中から彼女の手指をアップすることを想定。シナリオ中に記述があると、おおよそ演出さんはそこを映してくれるものです)

くらいにしておいた方が、セリフとしてはちょっと簡潔かな、といったところ。無駄に喋らない分、真剣みが増すような感じです。
(ただしシナリオで演者の細かい所作を全て書くことには賛否ありますね。それは演出家や監督のお仕事の領分でもあるからです)

客人を家庭に招いて食事のシーン、どうぞどうぞとテーブル上に家内の料理を並べてすすめる場。

隆「いやいや美味い! 家庭料理は久しぶりで最高ですよ。弁当やらてんやものやらばかりでこのところは辟易してましてね」

と言わせてもいいのですが、むしろここをセリフで表現しないで、

隆は煮しめや切り干し、卯の花などを交互にがっつく。オムレツ、鰻のまぶし、トンカツにはほとんど手を付けない。

―――こんな風にしておくと(小説ならこんな説明文体ではいけないでしょうが)セリフがなくても、隆が何に飢えているのか、じゃあ今はどういう境遇なのか、が分かるというものです。視聴者はおそらくコレを単なる隆さんの偏った食の嗜好の問題だとは受け取らないし、テーブルを1、2度ほどアップにしておけば十分に意図は伝わると思いますヨ^^

村役場の出納係で気弱な男が、運悪く銀行で強盗に出くわす。守衛と乱闘になるのを不安げに見守っているが、目の前に転がってきた銃を平然と拾って用い、犯人のすぐ脇の観用植物の鉢などに銃弾を2度連続して当てる。怯んだ強盗は逃げ出し、男は事も無げに銃を床に戻す。

・・・こういう一連のごく短時間のシーンがあれば、

銀行員の女「あの・・・あなたは何者なんですか?」
出納係の男「いいえ、私は別に何も・・・」
銀行員の男「あなた、ただ者ではないでしょう?」
出納係の男「本当に何でもありません。ただ必死だったのですよ。あははは・・・」

直後にこんなセリフ劇を仕立てる必要なんかないわけで、騒然としている隙に、彼はすいと銀行を出ていけば良い。
銀行から離れた場所で、そっと自分の手を見つめて黙り込み、それからギュウウと帳簿を握り締めて役場へ向かってごく普通に歩き出せば、なお良いかもしれません。視聴者からすれば妙にひっかかるのではないかと予想しがちですが、おおよその意味は通じるはずでしょう。
そう考えていくと、シナリオの中では意外とセリフは要らないものです。

シナリオでは、小道具と小さな演技を生かして表現しましょう。
小説でもそうでしょうし、詩なんかでもそうでしょう。小さな動作、風景の小さな変化、気候や自然、小道具をちょっと描写することで、多くのセリフを費やすよりも簡潔でなおかつ明瞭に伝わることは多いかもしれません^^
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by genmuki | 2007-10-11 17:42 | シナリオ小話

背景の調整必要だったりしてー☆

久々に新作のCGなんかを掲載しておきながら「背景の調整必要だったりしてー」だなんて、嗚呼、何て赤裸々な叫びなんでしょう。(笑)
ゲーム制作とというと、特に、我がサークル「幻夢騎」なんかでは、原画さん、着彩さん、背景さんがそれぞれに別々だったりします。
それを合成し調整するのはひとえにへっぽこ代表・おおやぎが担当していたりするのですが・・・。
下図のように、まずはサクッと合わせてビックリ! 自分がお願いしてそれぞれのスタッフさんに作成して頂いたCGが“カブってたり”します...(恥)

えっと・・・どこがカブリか分かりますか?^^;
クリスマスツリーとその落ち影、そしてキャラクターが、微妙に脚の部分でかぶってますよね・・・。
(それを簡易合成でここで掲載する代表っていったいなにもn(ry))

一部のスタッフ&お知り合いの方はご存じの通り、ボクはすっごくいい加減なレイアウトで各所に振っちゃう&「あとはこっちで何とかしますね~♪」と言っちゃうタイプなので、毎度、この通りに調整なんかが必要になっちゃいます。
こういう部分って確かにゲーム制作において、「前景と背景が合わないー!」とかっていう、ある意味で楽しい(?)現実だったりします。こういう部分を微調整しつつ、雨とかライティング(光線・光源)とかエフェクトとか合わせながらCGを完成する作業の醍醐味ってあるよね? よね? よねよねよね??(必死w)

はああぁ・・・。頑張って調整しようっと....

c0125626_5455937.jpg

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by genmuki | 2007-10-06 05:55 | 幻夢騎

シナリオ小話 第6回 モンタージュ

第6回目です。やはりTVや映画などを観ていて普通に感じる、けれどシナリオライターぽい話題がイイですね。ということで、本来は大変に奥深い「モンタージュ技法」について。

モンタージュ
(フランスmontage「組立て」の意)
1 映画で、撮影したフィルムの各断片を排列し、統一ある作品とすること。映画の編集、構成。カッティング。
2 映画や写真で複数の像や場面を合成して一つの画面とすること。また、その合成されたもの。

小学館「国語大辞典」より

モンタージュ理論というと、シナリオライターの中で必ず想起されるのが、エイゼンシュテイン監督のお名前と「戦艦ポチョムキン」ですね。ボクがこの映画を見たのは中学生の頃。その後、高校生、大学生、そしてプロになってから数回、観ました。が、率直なところ「モンタージュ理論てなに?」くらいに感じましたし、皆さんも、改めて言われると「なに?」と思うはず。
それほど現在では基本的になっているのがこの理論であり技法です。

有り体に言うと、モンタージュ技法もまた説明の一手です。しかも、どちらかと言えば後説。ドンドコと付け足していく。

少年「アハハハハ」
 と楽しげに笑う
尻もちをついた少女、まくれ上がったひだスカートを押さえている

ずばり、これがモンタージュ。
最初のカットでは少年が何を楽しげに笑っているのかわからない。
次のカットで、少女が転んでいるのを笑っていることが解る。
最初に少年が揶揄するようにカラカラ笑っているものだから、少女が自分のスカートを押さえている現状の心情も知れる。
―――とまあ、あまりに当たり前のこういうカット回しのことを「モンタージュ技法」と呼ぶわけです。

さてさて、TVなどを観ていて「これモンタージュだろう!」と思う瞬間は、やはりドキュメンタリー番組や報道番組ですね。

ニュースの話題は、たとえば、日本のある地域の干ばつを報じていたとする。ここでは、キャスターの顔が映っている。
VTRに切り替わると、いかにも日本ではなさそうな地平線の見える大地、ひび割れた赤土の地面が映る。―――ご丁寧に「資料映像」などと左上隅に書いてある。
さらにVTRが切り替わって、中国あたりの株式市場。素早い動作で指示を出しているトレーダーの姿が映る。
さらにVTRが切り替わると、とあるアフリカの内戦の続く地域の難民キャンプの映像を映す。
ダメ押しに、旧ソビエト連邦の内戦風景で、ドーンと中型戦車が発砲する瞬間の煙幕。
カメラがスタジオに戻ると、キャスターが一言、こう言う―――「ある専門家によりますと、このような現象はより規模を拡大するだろうとの見方もあるそうです」

文章では少し難しいのですが、ニュース映像なんかを想像できましたか。
何だかまるで、地球規模でボクらを取り巻く環境が致命的なダメージを受けているような印象を受けませんでしたか。
でも、あくまでもニュースが伝えたのは日本のある地域における雨不足であり、キャスターが代弁したのは(誰が何について言及したかわからない)専門家のほんの一言。

この組み合わせから、視聴者に一定の心理効果と情報の理解を与えるのが、モンタージュの怖いところです。
「キミはつまり、世界気象は異常化していると言いたいのか?各国の食糧市場は混乱し、世界は破滅に向かうと言いたいのだね?」と問うと、おそらく制作者は「そんな意図はありませんよ?どこでそう言いました?」と開き直るでしょう。
カットの組み合わせから、視聴者の想起する内容が決定づけられる、だなんて難しいことを言ったらまさにその通りなのですが、要するにボクたちは前後の叙述や映像から‘勝手に’理解する生き物なのですから、それを利用するのが「モンタージュ技法」であるわけです。

キング牧師の有名な演説シーン、ガンジー師が糸車を操る映像、イエズス・キリストの磔の絵画、そしてAさんの演説風景、彼が刑事事件で告訴された事実の報道。

ヒトラーの鬼気迫る演説、ナチス・ドイツのパリ進駐の映像、オウムの浅原氏の説法、そしてAさんの演説風景、彼が刑事事件で告訴された事実の報道。

Aさんってどんな人ですか?

まさに!シナリオライターの思い上がりです!が、Aさんをどのように紹介できるか、それはボクたち脚本家と演出家と編集者の意のままであったりします。
モンタージュを探してみましょう♪
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by genmuki | 2007-10-04 00:24 | シナリオ小話