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シナリオ小話 第54回 曖昧なセリフへ

しばらくシナリオの中でもかなり細かい技術論をやって来ましたので、今回はイージーに行きましょう♪

「曖昧なセリフへ」と題しましたが、ややいい加減なことも書いていますのでご注意下さい。―――と前置きしておきたいと思います。なぜなら脚本家諸兄の中には考え方の相違もありますので、あくまでもおおやぎの個人的な技法というか工夫のひとつと考えてほしいのです。

しばしば脚本を書いていると、読み返してみて「これはかなり意味合いが曖昧だな」と思わされるセリフが出て来ることがあります。
さっそくひとつの例を挙げますと、

課長「いいかね、このプロジェクトは我が社にとってどれほど重要か」
良次「ええ・・・」
課長「だったらきみのはどうだい」
良次「ええまあ・・・」

こんなやり取りがあったとしますと、この部分の脚本をパッと見ただけでは、課長が良次を叱責していて当の良次は恐縮しているのか、課長が覚悟のほどを語って聞かせているのに良次は白けているのか、逆に課長が良次に気合を入れようと努めているのに良次は上の空なのか、それが分かりかねます。
ですからこんなセリフを分かり易くしようとして、「どれほど重要か【分かっているのかね】」「どれほど重要か【きみは理解できていないようだね】」だとか「きみの【その態度】はどうだい」「きみの【出してきたこの企画】はどうだい」のように言葉を補ってしまいます。

今回は、このセリフの補完について『待った』です。

別の回でも書きましたが、そもそも私たちは日常の中で説明的な言葉はほとんど喋りません。「私は○○を△△に□□したいと思っています」のようにまるで英語の構文のような話し方はしませんね。
このことを逆説的に考えてみると、脚本上の記述を見て『何だか意味が曖昧だ』と思えるセリフほど、実際に演じられた時に生き生きしたリアルな会話の感覚を生むことがあります。ボクは時折このことをむしろ積極的に利用するようにしています。

課長「わかってないな、このプロジェクトがどれほど重要かということをきみはまったくわかっちゃおらん」

こんなセリフを書いておいて、ふと思うわけです。―――この課長というのはもっと感情的な人物なのだから、一見して意味が通じないくらいの物言いである方が生きた作劇になるんじゃないかなと。そこで、

課長「わかっとらんよ。今度のプロジェクト、これ、重要度だよ」

ちょっとした小技ですが、一見して意味が分からないように意識して組み直したりバラしたり、特に単語だけ取り出したりする。これを実際に演じてみるとなかなか面白いことになると思っています。セリフの中の言葉の意味やつながりを曖昧にするからこそ、演者にとっては裁量の幅も出てきます。脚本家としてはこういうことも(小手先のテクニックに過ぎませんが)利用してみる価値がありそうです。
良次の「ええ」とか「ええまあ」なんていう曖昧な相槌もやはり面白みがあるように感じます。「それはわかっています」とか「精一杯やっています」等と明確な言葉になればなるほど、視聴者は潜在的にその言葉にウソを感じます。「あなたのことが好きで好きでたまらないわ」なんていうセリフと同じことです。

時代劇なんかでも、悪巧みする人物は「うむ」と頷いて、その鋭い眼光をカメラに向けるだけです。「上手くいったな」とか「手筈通りではないか」と首肯して見せるのは何だか安い。ここは演者の表情に託して「うむ」と頷いてギラリとひと睨み。セリフの意味を無くし曖昧にするからこそ、劇の内容が生きて来るのではないでしょうか。

もし脚本を書いてみて、どうにもセリフの意味が明確すぎて作劇に余裕がないと思えば、ところどころのセリフを曖昧なもの・意味の通じないもの・意味深なもの、あるいはセリフそのものを無くしてしまって省略で置き換えてみて下さい。一見して意味が通じないくらいまで曖昧にしてしまった方が妙味を醸す場合だって多くありますヨ★
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by genmuki | 2008-11-28 17:09 | シナリオ小話

シナリオ小話 第53回 ブリッジ

今回はシナリオ技法上の「ブリッジ」について考えてみます。
「ブリッジ」とは英語の「橋」のこと。本来は映像や演劇で場面転換の際に用いられる短いBGM(背景音楽)等を指しますが、ここではそれを拡大解釈して、シナリオ上のシーンとシーンの切り替えの際の処理だと思って下さい。
(ことシナリオに関しては技法や現象の術語化が今もなかなか定まりません。それはたとえば音楽が途中からほぼ完全に西洋式に移行したのと事情が異なり、脚本・台本の世界には今も古い時代からの感覚として用語が数多く存在するためです)

まず念頭に置いておかねばならないのが、シーンとシーンのつなぎに関する技法の多くは、「トランジション」の回にも述べた通り、多くの部分が演出や監督、撮影、編集といった側に委ねられ、シナリオライターの中には、このようなことを意識すること自体は脚本家の仕事の範疇には入らないとする意見も多いということです。
しかし日本の例でも海外の例でも、多くの映像監督は脚本家を兼ねたり脚本家出身であったりします。映像監督の世界では自身で脚本が書けるのも当然の条件のように話されることもしばしば。―――だとするとシナリオライター自身も、このような監督や演出さんの考える“出来上がりのフィルム”に踏み込んでシナリオというものを考えておいて損はないということです。

本題に入って「ブリッジ」とは何かということですが、映像を想像しながら次の一例を見て下さい。

久しぶりに帰宅した小太郎、今は無人の実家の農家造りの大屋根を見上げる
杉皮ぶきの屋根の上の空、うっすら星が出始めている(カメラがパンアップ)
屋根の隅から煙が出始める
実家の前、子供時代の小太郎、父の仕事を手伝って柴を紐でくくっている
農家の庭、祖父母や父母が働いている
小太郎の父「そろそろ暗くなったで」
次郎「かっちゃ、とっちゃ、ただいまもどったでー」
 と走って帰って来る。背中には空の野菜籠を背負っている。

よくこういった映像を見たことがあると思います。回想シーンの前後を、今も変わらぬまま残っている実家の大きな杉皮ぶきの屋根を中間に据えて切り替えています。この時、「杉皮ぶきの大屋根、その向こうに見える星空」が「ブリッジ」だと言うことができます。よりシナリオ的に言うならば、「小太郎が屋根を見上げる」動作をドラマに入れ、次の柱では同じ旧家でのありし日の風景である、というシーンの前後関係がブリッジを形成していることになります。
今も変わらぬある物を使ったり、直接昔を懐古する物を使ってつなぐことの多いこの技法は、「回想のブリッジ」と言うことができると思います。このような家屋や風景の他、仏壇の写真の面影、古いノートや日記の記載、あるいは様々の思い出の品々を映しておいて(つまり登場人物にこれに注目させておいて)、次のシーンからは回想であったり懐古であったりする手法です。

次に「移動のブリッジ」の最右翼がキューンと音を立てて走る新幹線の映像でしょう。上空を飛行中の飛行機の映像もよく使われます。全国を旅するような旅情ドラマではおなじみの情景です。
サラリーマン物で東京駅前の朝の雑踏などを映しておくのも一種の「移動のブリッジ」ですし、同じく旅情物では五重塔を含む京都の街の遠景をワンカット入れていたりして、次からは舞台を移して主人公たちは京都で行動ですよと知らせるのも同じです。
「いってきます!」と玄関を飛び出した中学生の拓哉、次のシーンはロングで川の堤防の上の通学路だったりして(ここで特に拓哉の姿が確認されるわけではありません)、次のシーンが学校の教室だったりします。これも「移動のブリッジ」です。

また「時間経過のブリッジ」というのもしばしば用いられるもののひとつです。
たとえば、雪深い北陸で暮らす高校生の高男、祖父を手伝って家の前の雪かきをしながら「桜の咲く頃には姉ちゃん帰って来ると言っとったねえ」と話しています。ここで次のシーンはいきなり玄関、「ただいま帰ったよ、高男おるの?」とやるのは映像としてやや不親切なのであって、やはり日本の伝統的な風景として、雪解け、水ぬるみ、つぼみのふくらみ、桜の開花、と順に3秒ずつでも5秒ずつでも挟んでやるのが良いでしょう。
ホラーやミステリーでは、いよいよ夜が来るぞといったことを、夜空の映像と響き渡る野犬の遠吠えなどを映すことによってじっくりと視聴者に知らせます。夜になると活動する吸血鬼が出てくる映画ではほとんど言ってよいほど、太陽が山々の間に沈む行く映像が出てきます。こうして時間経過を視聴者に知らせ、次のシーンへの移行をスムーズに、今後の展開を受け入れる心理を醸成します。

他にも「主体切り替えのブリッジ」や「場面切り替えのブリッジ」といったことも考えられます。
家族ドラマなんかでは長男・長女・父・母らのそれぞれの日常をほどよく描いて行きたいわけですが、こういった時には「主体切り替え」の機会が多くなります。1.あるシーンでは長男のバイト先での内容
2.次のシーンではオイルにまみれて働く自動車整備工の父のドラマ
3.次のシーンでは高校で吹奏楽に打ち込む長女のドラマ
4.さらに次のシーンでは買い物先のスーパーで母とご近所のドラマ
・・・こんなふうになって行く時、長男が客に「ありがとうございましたー」と頭を下げる映像からいきなり整備工の父が「タツー。この部品もうダメだわー」と呼びかけている映像では、やはり少し不親切です。
この時、店長がこの長男に「おう、そろそろ休憩とってええぞ」と言い、長男は「配送来たみたいなんで商品入れたら休ませてもらいます」と小さく頭を下げて店から出る、カメラは一旦ここでコンビニの外観を映しておいて配送トラック、コンビニ前の道路があって行き交う自動車があって、彼らの住む街の映像があって、『(株)鈴鹿自動車整備』の看板が見えて、ようやく「タツー。この部品もうダメだわー」の声、そして父がトラックの下から這い出て来る、といった具合につないではどうでしょうか。ドラマの主体が切り替わるので、両者の現在地の距離感も踏まえた上でいくつか映像を挟んでやって、いわば視聴者に対して「長男のドラマはここまで、ここからちょっと映す先が変わりますのであしからず」とご挨拶を差し上げておくような感じですね^^ それこそ昔風のナレーションで、「さてさて長男はこうして今日もよく働いておりますが、同じく働き者と言えば父。現在の彼はどのような様子でございましょうか」と口上を述べている感覚なのです。
「場面切り替えのブリッジ」も感覚としてはこれに近く、これから出勤しようという春子、マンションの玄関を出てうーんとひとつ背伸びをし、「さ、今日も張り切って行きますかっ」と微笑む、なるほどその気分に合わせて今日も晴れ、空は晴天、日射しも明るく、次は制服の胸元のリボンをちょっと直しながら職場である会社の受け付け席へやって来る姿、というわけです。「時間経過」や「移動」を直接に映像化したものではありませんが、時間も場所も盗んだのを、せっかくなのでこの日の春子の明るく前向きの気分で象徴して青空のワンカットで表現してやったものです。

最後に。
これらの「ブリッジ」に相当する「つなぎ」の映像を、普段、脚本家はシナリオ上には書きません。実際にはいくらか書く人もいます。
では脚本家はこういった部分にまったくもってノータッチなのか? ―――そうではありません。
結局のところ脚本家は「小太郎は杉皮ぶきの大屋根を見上げ、彼が少年であった昔を思い出すのである」とか、「と、春子出かける。空は晴天、今日も良い天気だ」と書いている。
ただ、こういった脚本への記述方法はやや古い作家に多いかもしれません。最近の流行なのか何なのか知りませんが、今はあまりこういった書き方はしないようにも感じます。これは推測の域を出ませんが、ますます映像制作の分業化が進んだ現在、脚本家は慎ましくなったと言いますか、映像さんや演出さん、監督の領分にあるであろうと判断しているのかもしれませんね。
おおやぎ個人は、脚本とは映像の設計図であってスタッフみんなで最初に分かち合うべき第1次の資材だとの認識ですから、脚本家なりに思い付いて・思い浮かべている情景やらシーンのつなぎやら雰囲気といったものは、やはり脚本に書き込んでおくべきだと思うのです。
もし監督や撮影さんや編集さんが、「思い出に入るシーンで屋根をモチーフにするかどうかは俺が決めるンでい!」とか「空が青空がどうかはおいらの胸先三寸よ!」といったことを主張されるなら、「それで良いと思います。脚本家としてこうしてはどうかと書かせて頂いたばかりです」と答えておけばよろしい。時折こんなことで脚本家と監督が齟齬を生んでいたり、こういう部分をもって「脚本の書き方を知らん」と貶なしてみたりの風景を目にしないわけではありませんが、まったくおかしな話です。
―――だからこそ、脚本家も「トランジション」や「ブリッジ」を自分なりに学んで、自分なりに想像したフィルムを脚本にできるだけの技量を持たねばなりません。全てがその通りになるかどうかは異なる次元の問題なのであり、やはり何事をも学ぶべきですね♪
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by genmuki | 2008-11-18 06:44 | シナリオ小話

シナリオ小話 第52回 トランジション

今回はカメラの考え方から今度は編集の考え方に触れ、「トランジション」について少しだけ考えてみましょう。
シナリオライターにとって(少なくともボクの場合は)、映像を想像しながら執筆する最中、自然と頭の中に思い浮かばれるのがこの「トランジション」です。

まず「トランジション」とは何かと言いますと、

トランジション【transition】
ビデオ・映画などで、シーンが変わる際の画面の切換え効果。フェード‐イン・フェード‐アウト・オーバー‐ラップなど。(広辞苑)

―――つまり、画面の切り替わりです。映像上のシーンとシーンをつなぐ部分にどういった処理するか、という考え方一般を指す言葉です。
今回は個別の処理を列挙して説明しませんが、基本の用語だけ解説しておきます。
「フェード」とは元々「消えていく」という意味で、映像が半透明になって消えていく(アウト)・出てくる(イン)ようなことを指します。
一般にテレビや映画の映像は光ですから、「フェードアウト」では映像が徐々に消え、何もない状態=黒の画面になります。
「オーバーラップ」とは「上にかぶせる」という意味です。現在の映像をFO(フェードアウト)させないまま、次の映像をその上にFI(フェードイン)させるような手法が一般的です。
これらは映像を透明にする技法を括ったものですが、映像そのものを縦横の方向に動かすことを「スライド」、縦横いずれかから出したり消していくことを「ワイプ」と括ります。コメディ映画やアニメで画面を丸くすぼめていくような物なら「アイリスワイプ・アウト」(サークルワイプやラウンドワイプ等とも)等、その形状に応じて名前が付いてきます。アメリカンコメディアニメでは星型の物なども多用されます。が、シナリオライターはそこまで詳しくなくても大丈夫です。

さて、前置きが少し長くなりましたが、本題はシナリオライターが念頭に置いておかねばならないトランジションについての基本的な考え方です。
カメラワークの「ズーム」の時にも述べましたが、映像とは時間体験です。時間体験とは『何が何秒間画面に映っているのか』といった基本的なことを指します。
漫画や小説のような読み物との違いは、読者によってゆっくり読んだり速く読んだりといった差異がないことで、最近はビデオの普及で巻き戻しもスローも可能でしょうが、原則としてシナリオというものは一様に前から後ろへ進むものであり、万人に対して同じ速さで見られるものだということ。
・・・としますと、ある物を長く画面に映せば、それは視聴者が対象に注目している時間が長いという意味ですから、対象はより強く印象付きます。
長ゼリフで有名な「渡る世間は鬼ばかり」では、やはりほとんどのシーンが長回しになります。画面は喋っている人物を映し続けるのですから、視聴者もジッと聞き入るという形の映像になります。

これまたやや前置きになってしまいましたが、つまり、映像の時間体験を念頭に置いた時、画面の切り替わりである「トランジション」は自然と意識されるということです。単なる編集上の「トランジション」だけなく、シナリオライターが書くシーンとシーンのつながりもまた、広義で潜在的な「トランジション」です。

クライマックスも終わってエンディング。この最後のシーンなんかは、かなりの時間的余裕をもってゆっくりゆっくりフェードアウトしてものが多いです。これは一般的に余韻を感じさせる効果があります。ライターとしては『ゆっくりフェードアウトしていくのが良いナ』と想像しながら、「待ってるからね・・・ずっと・・・ずっと・・・」のようなセリフを書いてみたりする。
また、夜に「おやすみ」と言って眠り、次に「おはよう」と言って朝食のシーンならば、たいてい画面は一度暗転(FO)し、朝食の食卓がFIします。この2つのシーンがパッと切り替わったら視聴者はかなり混乱するでしょうし、編集さんもそんなヘマはしません。しかし脚本にそっと「次の朝である」とか「翌朝」と書いておいてあげると親切なんですね。
さらに、この「トランジション」と時間感覚を前もって知っている時、シーンとシーンの間で時間を盗む時には何が何でも「ブリッジ」するのではなく『ここはゆっくりとFOしていれば十分だ』等と判断することもできます。こうすると「ブリッジ」を選択しない、という選択の幅も広がり、映像の単調化を避けることができるようにもなります。(「ブリッジ」は次回に取り上げます)

また、一般的に「ワイプ」や「スライド」は画面そのものが移動するような効果ですから、視聴者は「移動」の感覚を錯覚します。主人公やあるいはドラマの視点が他へ移動する場面に使うのが本義です。
ただし、シナリオライターはシナリオの中に「FI」とか「右へWO」とか書く必要はありません。いつものごとく、知っておいた方が良いという程度です。
しかし、この“考え方”だけはしっかり身に付けたいところです。なぜなら、シーン(柱)を変える段階になってふと『これで移動の感覚って伝わるのかな?』と思うことがあります。この時、おぼろげにでも『ワイプしてもらったら十分にそう伝わるか』とか『この前後のシーンはORするにしてもWOするにしても何かちぐはぐだな』といったことを想像することができるというのは、シナリオライターとしても大切な感覚のひとつです。

例をひとつ挙げます。逃亡者とそれを追う刑事、両方とも逃げる・追うと移動を繰り返している場合、
1.逃亡者、足早に住宅街の路地へ駆け込む
2.刑事、西新宿の雑踏の中を歩く
3.逃亡者、路地で出会った婦人に何かを尋ねているようである
4.刑事、看板持ちや客引きに警察手帳を示しつつ聞き込みして回っている
―――こんな内容を書けばいかにもオーバーラップにおあつらえ。実際にオーバーラップに編集されなくとも映像の対比が出て分かりやすいことは間違いありません。

編集を考えることは、最終的にどういう映像になるだろうかと考えることにつながります。これはまさしくシナリオライターにとっては大切な技能ですよね。
だからこそ、シーンとシーンのつながり「トランジション」を広義で捉え、一度は一通り勉強しておくのも決して無駄なことではありません。逆にこのことをまったく知らないと、『どうつなげたって違和感があるよ』と編集さんを泣かせる脚本を書いてしまったりします。

余談ですが、ぺらぺらの写真や紙に火を付けてそれが端から見る見るうちに燃えてなくなっていくような映像があります。燃えた向こうに誰かの顔があれば、ちょっとした「ワイプ」の効果を得ていたりします。
舞台演劇でも横に動く幕と縦に動く幕を使用しますし、書き割りと呼ばれるセットを横方向に動かして移動を意味したり、波を表現する布を左から右へ引っ張って行って船の行き来を表現したりします。これらは「ワイプ」であり「スライド」です。
カメラの回に紹介した「上空へパンアウト」からの「(別の場所を)上空からパンイン」なんかも一種の「トランジション」でありワイプアウト・ワイプインの効果とほぼ同じだったりします。

シナリオライターは時間体験であるところの「映像」を書くのだから、シーンとシーンのつながりにも着目しておかねばならないということで、今回は「トランジション」のことも少し勉強して、その感覚といったところを身に付けましょう、ということです。
次回は上述の通り、シーンとシーンをつなぐ考え方のもうひとつの技法「ブリッジ」について考えてみたいと思います^^
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by genmuki | 2008-11-12 01:04 | シナリオ小話