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シナリオ小話 第62回 受け答え

以前にも何度か触れてきた話題でありますが、そもそも脚本におけるセリフの応酬で、実に当たり前の「受け/答え」の形になったのなら、『あれ?これで良いのかな?』と感じるクセを付けるのがよさそうです。

というのも。
つい最近の出来事ですが、ある短編映像の脚本で、監修さんから「視聴者に分かり易いよう、リアルな会話として成り立つ形にして下さい」と注文を受けました。
「それは英会話ゼリフを書けということではないですよね?」と念を押して執筆に勤しんだのですが、出来上がった劇では、脚本家が脚本には記さなかった範囲で、いちいち「はい」とか「いいえ」とか「そうですね」という相槌が入っていました。なるほどコレは意味が分かり易い。
―――これは監修さんか演出さんかのどちらかがそのように書き換えられたか実地でそのように演技指導なさったせいかとは思いますが、この短編の映像が初公開以降、視聴者から「まるで言い含めるような表現で不快だ」「テンポがワンテンポずつズレている」との厳しい評価を受けてしまいました。

・・・さて。
これも以前からの記載になりますが、果たして我々は日常的にそれほど正確に相槌を打ち、いちいち返答して会話をしているでしょうか?
―――つまり、“分かり易く”“一般的な会話を意識する”ことは、むしろ紋切り型の『受け答え』をしないことにあります。

この場合、監修された方が勝手に脚本をいじったり演出したりしたことが第一義の原因なのではなく、私の書いた会話の内容がやや困難であったせいだと考えます(猛省)。
しかし、視聴者さんがわざわざメールなりBBS等への書き込みなどで表明されるように、この映像は実際に退屈な劇であったのでしょう。
この評価を見るにつけ、もちろん脚本は意味が分からぬばかりの応酬ではいけないけれど、正常だと思える受け答えや丁寧な往復ゼリフほど空虚なものもない、という証左ではないでしょうか。

どれほど説明的で/どれほど飛躍的なのかは、作家それぞれの個性であり作家による独自のリズムやテンポでありますが、「分かり易い」ということと「退屈」で「テンポが悪い」こととは別問題のように感じます。
文字で読み返して『うん ちゃんと受け答えしているヨ』という作劇は、実は非常に退屈なものなのかもしれない、ということを常に意識したいものです。
もし脚本を書いていて、「はい」とか「いいえ」とか、意味性がはっきりしているわりには感情のこもらないセリフをいちいち書いているとすれば、『あれ?これで良いのかな?』と感じたいものです。
―――こういったセリフを1行書いた時点で、実は我々は、意外と非常に安心しきっているものですから。

初出 Mixi 拙連載より 2008.12.20
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by genmuki | 2009-03-05 15:12 | シナリオ小話